エジプトの都市。
数多くの遺跡が残る観光地。遺跡の多くは「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産に登録されている。
1997年に、日本人観光客10人を含む58人が犠牲となった無差別殺傷テロ「ルクソール事件」が発生した。
初めてエジプトを訪れる人にとって、エジプトは未知の国すぎてどうしたらいいのかわからないことだらけ。エジプト旅行記が思いの外長くなってしまいましたが、普段の旅行よりも念入りに下調べをしたので、最後に覚書の意味も込めて。【2025年1月】
最後の観光は、ルクソール神殿です。 私は夕方のライトアップされたルクソール神殿に行けるのかと思っていたら、カルナック神殿を見たその足で🚌移動でした。 まあ、暗くなってからでは見えないところもあったので、昼間の方が良いっちゃ良いのですがね。 ルクソール神殿はさっき見学したカルナック・アメン神殿の付属神殿で、アメン神殿から約3キロの距離にあり、両側に羊のスフィンクスが並ぶ参道で結ばれています。 参道はこちら。 第一塔門はラムセス2世が拡張したもの。 現在オベリスクは1本だけ。 右側にもう1本あったものは、1819年にフランスに贈られ、パリのコンコルド広場にあります。贈ったと言うよりもどうしても欲し…
午後からいよいよクライマックス!カルナック神殿への観光です。 模型でもその広大さが解るように、写真に納まっていません。 中王国時代から新王国時代まで歴代のファラオにより1300年以上に及び増改築を繰り返されたエジプトで最大規模の遺跡。 ああ~、見えてきた♪ スフィンクスの参道から第一塔門。 牡羊のスフィンクス、一番綺麗な顔の羊さんを📷 第一塔門から順に 第二塔門前のラムセス2世像。 大列柱室、134本の列柱。 中央通り沿いの12本の列柱は高さ12mと他の柱より高い。 大列柱室から正面に2本のオベリスク。 左がハトシェプスト女王と、右がトトメス1世のオベリスクです。 オベリスクから聖なる池へ。 …
ハトシェプスト女王の葬祭殿から次に向かったのは、メムノンの巨像。 この座像は新王国時代絶頂期の王アメンホテフ3世のもの。 もともと座像の後ろに彼の葬祭殿があったが、後の王たちが石材として使用し、完全に破壊されてしまったとか。 相当ヒビが入ってますね。 何だかロボのように見える・笑 かつてローマ時代の地震によりヒビがはいり、激しい気温差によるきしみと風によって「像が歌う」と不思議がられていたのを補修工事により今では静かになったと。 どんな音だか聞いてみたかったかも!?ちょい怖いですけどね。 記念撮影だけして、最後の見学地へ🚌 途中に見えたのも、また別なファラオの葬祭殿。沢山ありました。 途中で見…
次に見学に行ったのは、ハトシェプスト女王の葬祭殿です。 ここでも、いつものセキュリティーチェックを。 1977年のイスラム原理主義過激派の無差別銃撃事件により多数の観光客の犠牲者が出ました。日本人の犠牲者は10人、新婚旅行の方が多かったそうです。合掌。今ではエジプトのどの観光地でもセキュリティーチェックが厳重にありますので、安心ですね。 でも、ちょびっと緊張。 おおお、こんな崖の真下に! ここからでも遠いので、カートで移動です。 自由見学の後の集合場所は右手にあったレストハウスにて。 第1テラスに鎮座のスフィンクス、ハトシェプスト女王の顔のスフィンクスです。 ハトシェプスト女王は、トトメス1世…
最後に入った王墓はラムセス9世。 ラムセス9世は第20王朝8代目のファラオ。 ラムセス3世の孫と考えられています。在位期間は18年。 ここも長い廊下が続きました。 他のところを見学したら、ツタンカーメン王墓の小規模さが良く解ります。 レリーフが素晴らしかったですね。 そして、こちらが玄室。現在は下まで行く事が出来ません。 すると警備の人がチップ稼ぎにスマホを渡すと写真を撮って来てくれます。 クニパのスマホを渡して📷撮って貰いましたよ。 玄室の天井画。ヌト神が描かれています。 玄室の中のレリーフは少し傷んでますね。 チップはUS1ドルとか2ドルとか。警備の人は一日でいい小遣い稼ぎになりますね。私…
カイロから行くルクソールの日帰りツアー。早朝フライトから始まり、一通り観光が終了したのが15時。帰りのフライトは20:35発です。【2025年1月】
いよいよ日本で最も有名なファラオ、ツタンカーメンの王墓へ。 ツタンカーメンは新王国第18王朝のファラオ。 父親は宗教改革をしたアクエンアテンで、ツタンカーメンは父親の死後わずか9歳で即位し、19歳で亡くなりました。死因については諸説ありますが、親近婚がずっと続いたため、もともと虚弱体質であったと考えられてます。またマラリアにかかっていた事と脚も骨折していたことがミイラ鑑定で解っています。 まだ子供だったので実際の政治を行っていたのは神官アイと将軍ホルエムヘブと言われています。 発掘されたのは1922年、墓番号は62。 カーナヴォン卿の支援を受けたハワード・カーターが発見。(ま、実際に見つけたの…
いよいよルクソール最後の観光地、ルクソール神殿にやってきました。【2025年1月】
ツアー6日目、船は朝方にルクソールに到着。 クルーズ船から朝の眺め。。。 わぁ、気球が飛んでいました。 気球も数年前に事故があった為日本人ツアーでは開催されていません。 この日は午前と午後をかけてルクソールの見学です。 ルクソールはナイル川中流域の街、昔はテーベと呼ばれていて、西側と東側に街が分かれています。太陽が昇る東側の街は「生者の町」として神々を祀る神殿が建造され、太陽が沈む西側の街は「死者の町」として墓地が造られました。 先ほどの気球の飛んでいたのは、西側の方。 朝食後、7時頃に観光に出発します。毎日朝が早い! 午前中はルクソール西岸観光へ、🚌で向かいます。 あ、ここは午後から訪れるス…