「人が勧めるから成仏できるのではない。大昔に阿弥陀仏の願いが叶った結果、全ての人が往生できるのだ。それはもう決まったことで、念仏を信じようが信じまいが、その人が清い人であろうが、穢れた人であろうが関係ないのだ。」――これが一遍の主張であることは、前記事で紹介した。 そして一遍の主張はこう続くのだ――「だから思う存分に、念仏札を配るのだ。そして念仏を唱えるのだ!」 上記の主張からは、一遍の喜びが伝わってこないだろうか。我々は既に救われているのだ。こんなに嬉しいことがあろうか!念仏札を配るのも、楽しくてしょうがない。配っているうちに喜びが体の中から湧き上がってくる。その喜びに身を任せ、さあ念仏を唱…