関東大震災の一年前、大正十一年十一月二十六日従来の店舗が狭くなったので、下竪杉町一丁目二番地へ移ってからは益々忙しくなった。 震災後小田原で木製玩具の製造をしていた、倉橋連之祐という人が私が森村組に勤務中、度々取り引きで知合であった関係から震災で焼け出された二、三人の工員を連れて私を頼ってきた。そして名古屋で是非玩具の製造を始めたいので、資金を出して呉れとの依頼があったので、同人三名と協議して大正十二年十月取りあえず三千円を出して製造を始めた。倉橋木工所として直営の形で今迄の名古屋式とは異なり新しい木製玩具が生まれる事となった。 その結果震災後一年許りは一ケ月三、四千円程度の注文も忽ち一万円以…