時期的に台風が濃厚である。 明治二十四年九月四日、朝鮮半島仁川港は暴風雨に襲われた。 たまたま彼の地に日本人の影がある。韓国政府の招聘を受け、当港にて海関幇弁をやっていた青年・平生釟三郎だ。 (Wikipediaより、平生釟三郎) 川崎造船所のダラー・エ・マンにやがてなる、この人物の遺しておいてくれていた「被害報告」が面白い。ーーなんでも和船や西洋船は一隻たりとも損傷せずにやり過ごすを得たのだが、滑稽なことに、地元朝鮮の船舶だけが二十数隻もやられるという大出血を食ったとか。 原文をそのまま引用すると、 「…碇泊せる倭船、合の子船、洋形風帆船如き一隻も難破せずして錨すら失ふたるものあらざるに朝鮮…