霊魂が寄せ集めであっても、その中の断片には親先祖の思いや、やり残したことが入っていると思っていました。そして、それが人生を作っているのだと。 異気集合論を読み返してみて、霊魂を「原子」とか「分子」とかいう言葉に置き換えられていることが気になりました。魄とは言わないのはなんとなくわかりますが、それにしても、原子分子には人間臭はありません。むしろそれを消すためにこうした単語を使ったのかなと思ったのです。 次の疑問は寄せ集めの霊魂が人生をつくっているとするなら、人生はもっと変転し、さまざまな現実を描くことになってもいいのではと思いました。でも、自分の人生を振り返ってみても、あれとあれしかなかった人生…