監視と軟禁状態の中、地域の役人や住民から差別を受けているような、こんな場所にいてももう意味がない。そう判断した自分は、他の地域(隣の市)の仲間に連絡をとり、ボランティアを連れて、支援活動に行くことにした。もうその時点で、自分らがいたセブ市は、いくつかの行動制限が厳しくなっていたのだが、隣の市(タリサイ)では、まだ大丈夫、とその仲間に言われていた。彼女は、自分が、フィリピンに来始めた、もう20年近く前に出会った子だった。NGOはまだ立ち上げてなく、自分は現地の団体にボランティアとして参加し、貧しい子どもたちに毎日炊き出しをする活動をしていた。その時に、彼女はまだ小学6年生で、いつも、自分の弟(ま…