元禄16年6月6日。今尾の西願寺の弟子伴随と僕八介に尋ねることがあるので本願寺通所より捕らえ置く。西願寺玄察も通所に捕らえ置く。以前、津守(松平義行)様家中の逐電した若衆を触れが出た後も匿ったので。今尾村近江守百姓の彦四郎も召し捕らえ、牢に入る。4、5年前、玄察の子微岩が立ち退き、今は住む者がいなかった。玄察は隠居の身ながら寺を持っていた。この度、微岩も密かに隠れ、今尾に住んでいたので同じく通所に捕らえ置く。
元禄16年1月23日。丑8刻(午前2時半過ぎ)、坤(南西)の西寄りに火柱が見える。蟹江のあたりでのむぎ村正願(順とも)寺が焼失する。また明け方前、乾(北西)に火柱で、これは近江守知行所で今尾村は大方が焼失する。家の数は150軒ばかりと。