以前の記事でも書いた、 イラっとさせられる人、いちいちカンに障る人、 いつも一言多い人、微妙にウザいヤツ、など、 これって全部、愛に変わりたくて出てきた、 自分の中にある別の側面なんだ、 という認識が深まるにつれ、まるで世界が、 自分だけでできているように知覚されてくる。 例えば、僕は至って礼儀正しい人間なのだが、 挨拶しなかったり、場をわきまえない人に対して、 なんやこいつ、となったりすることがよくある。 こんな時、 礼儀正しい自分によって裏側に追いやられた、 ざっくばらんで自由な側面の自分が、 俺もお前の中にちゃんと愛として存在しているよ と、他者を通して現れているように見えるのだ。 例え…