ところで“名のり”を高氏と称する当の人物というのは、 その江北京極家の当主であった。 つまりこの地方の守護大名、 佐々木佐渡ノ判官《ほうがん》高氏殿こそがその人なので……と、 土岐左近は、 一応の紹介の辞でもすましたような、したり顔で 「足利家も源氏の御嫡流、佐々木殿も頼朝公以来の名族。 申さばおなじ流れのお裔《すえ》、 ここでお会いなされる御縁が、自然待っていたものとぞんずる」 舌にまかせてここまで述べた。 しかし自分の小細工を疑われてもと、考えたらしく。 「じつは最前、あなた様を佐々木殿と見違えたのは、 供の列を先にやって、野路の茶店で憩《いこ》うておるうち、 ふと、当の殿を見失うたので、…