先日佐賀を訪れ、出身医師の幕末期の活躍に関心を持った。伊東玄朴(1801-71年)はシーボルトに学び、江戸で塾(象先堂)を開き藩主の侍医にもなった。種痘の実施を藩に進言し、嘉永2年(1849年)に佐賀で日本初の牛痘接種に成功した。これを端緒として種痘が全国に広がった。 安政5年(1858年)には江戸に「お玉が池種痘所」を開設し、大槻俊斎、戸塚静海、手塚良仙(手塚治虫の曽祖父)ら83人の蘭方医と共に種痘を開始した。同年、将軍家定の重病に際し奥医師に起用され、その機に蘭方医の地位を確立し、後に法印(奥医師の最高位)に叙せられた。 お玉が池種痘所は火災に遭うも再建され、後に西洋医学所として蘭学の府と…