明和8年8月15日(1771年9月23日)〜天保11年11月18日(1840年12月11日) 日本の江戸時代の第119代天皇。諱ははじめ師仁、後に兼仁に改めた。 閑院宮典仁親王(慶光天皇)の第六皇子で安永8年11月25日(1780年1月1日)から文化14年3月22日(1817年5月7日)まで在位していた。
「聖護院」と聞いて皆さんは何を連想するでしょうか?やっぱり「八ツ橋」?笑 今回、私が護院を訪れたのは八ツ橋目当てではありません・・笑、私のライフワークである幕末巡り。こちらの門跡には、天明の大火の際に御所が焼け、再建されるまで光格天皇の仮住まいになっていた場所なんです と、思って訪れてみたものの、「北御殿」は見学が出来ないようで・・、「御殿荘」という宿泊施設の一環になっているのでしょうか、残念ながら仕方ないですね・・・。 本堂や宸殿は見学が出来ました 重要文化財の書院は見学出来ませんでしたが、外観だけでも醸し出す雰囲気がハンパ無いです・・ 本堂の宸殿はさすがの荘厳さ・・!これには圧倒されますね…
京都御所は建春門。その、建春門外にあったのが「京都学習院」ですね。 ちゃんと案内板もありました。「学習院発祥の地」。安永八年(1779)閑院宮家出身の光格天皇は、公家の教育振興に取り組みました、と説明されています。つまり、光格天皇が学習院設立を計画し、仁孝、孝明と三代に渡った後、弘化四年(1847)にこの地に開講したわけです。「公家や御所勤めの役人、その子弟に漢字と和学を教えることとし、嘉永二年(1849)孝明天皇より「学習院」の勅額が下賜され校名が定まりました」と説明されています。 説明版を読む限りでは公家の学校、読み書きを教えるVIPで雅な教育機関というイメージです。しかし、時は幕末、京都…
光格天皇以来200年ぶりの譲位