主体性があるとは、安心のある状態が、今ここを生きるという状態の持続として、「動的な安心状態」にあって、周りの人や社会も含めて、相手の話を聞いたり、気を遣ったり、配慮したりするという、「愛の実践が備わった状態」と考えたわけですが、この「愛の実践」というのは主体性である為に本当に必要なのだろうか。 自分自身が安心な状態で、それが保たれて維持されさえしていれば、それで十分主体性があると言えるのでないだろうか。「愛の実践」は関係なのではないか。今回はこの事について考えてみたいと思います。 特に今回は、生命性の観点と、主体と客体という観点から、愛の実践について考えてみたいと思います。 まず、生命性に関し…