(本稿以下Ⅵ稿迄は、『漂白の志士-北有馬太郎の生涯』上梓に際して調べた人物の一部です。参考までに掲載しておきます。)その一 下総佐倉藩士の倉田施報(幽谷・後安中藩儒官)が記した「北有馬百之略傳」に、「久貝氏賓師を以て君(北有馬太郎・本名中村貞太郎)を侍し、其子弟及び家中諸子の教育を託し、公務のいとまおのれもまた諮詢する所あり。君も亦其志を感じ、教導に心を盡し、大に啓沃する所あり。」と記された一節がある。 北有馬太郎が京都を去り、再び江戸に至って、旗本久貝因幡守正典の屋敷に招かれたのは、嘉永3年(1850)6月29日のことであった。恩師安井息軒の紹介であったと思われる。 久貝因幡守正典は、5,5…