室町幕府が出した、軍費調達のために荘園、公領の年貢の半分を守護が徴収してもいいという法律。 西暦1352年の観応の擾乱のときに一年限りの地域限定で出されたが、やがて永続的に、全国的に、しかも年貢のみならず土地、国までもを守護が私有化していくようになった。 これにより守護の力が強まり、守護大名と呼ばれる様になる。 日本が戦国時代に入るに至った大きな要因である。