呉座勇一『戦争の日本中世史』(新潮社、2014年) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 第一章 蒙古襲来と鎌倉武士 P21 だが、承久の乱の後、鎌倉幕府は平和な時代を迎える。唯一の例外は、宝治元年(1247)に鎌倉で勃発した宝治合戦(執権北条時頼vs三浦泰村)である。幕府の準公式歴史書である『吾妻鏡』によれば、戦闘時間は6時間、敗れた、三浦泰村方で自害した者は、主要な者だけで276人、それ以外の武士も含めると500余人に上ったという。 6時間の先頭で500人の犠牲者が出たというと、かなり激しい戦闘が行われたように思われるかもしれない。し…