アヘン戦争の講和条約。清朝とイギリスの間で1842年8月に締結。江寧条約とも。 全13条で、以下のような条件が清に課せられた。
以上、単なる講和条約であって、特段の不平等条約と言うほどの物でもない。が、翌1843年になってさらに虎門寨追加条約等によって、清はさらに以下のような内容を認めさせられた。
これらはいずれも清の主権を制限するものであり、典型的な不平等条約とされる。さらに清は米仏とも同じような内容の条約を結ばされ(望厦条約、黄埔条約)、列強の中国大陸進出は加速していくことになる。
*1:戦費への賠償が1200万ドル、没収したアヘンへの賠償が600万ドルなど。なお、条約中に「アヘン」という単語が出てくるのはここだけであり、アヘン戦争という割には講和条約にアヘン貿易そのものをどうするかは明記されていない。要は「黙認しろ」ということだが
*2:貿易勅許をあたえられた商人の組合
*3:いわゆる治外法権
*4:税率が輸入国の意志で決定できない
*5:清はイギリスに対して最恵国待遇を約束させられるが、イギリス側は清をそう扱わずとも良い
*のちに首相となる外相のパーマストン子爵は、清国に対して強引な外交政策を繰り広げました(ウィキペディア) 【あらすじ】 イギリス艦隊は紛争の中心地で林則徐が兵を集めていた広州ではなく、防備が手薄な北方の上海付近の舟山列島を攻略した後、北京に近い天津沖へ入る。天津に軍艦が現われたことにより、「弛禁派」の穆彰阿(ムジャンガ)は煙たい林則徐を遠ざけるよう帝に讒言して、代わりに琦善が派遣される。イギリス側はチャールズ・エリオット大佐が主導権と取り戻し、琦善と川鼻条約を締結する。 世界は清が唯一の存在と考えていた道光帝は、川鼻条約の屈辱的な内容に条約の締結を拒否した。一方イギリスではジョージ・エリオット…
マンガ日本の歴史 40内憂外患と天保の改革石ノ森章太郎中央公論社1993年2月5日 初版印刷 1993年2月20日 初版発行 『マンガ日本の歴史39 飢餓と兵乱と』の続き。 megureca.hatenablog.com 39巻では、江戸末期に近づくにつれ、現実の庶民の苦しい生活と、それに伴う一揆の話。40巻は、その一揆多発という内憂に加えて、おとなりの清がアヘン戦争に負けて西側諸国に統治されていく様を横目でみながら、不安を抱えていく日本。大御所の家斉が死んだあと、張り切って幕政立て直しに臨んだ水野忠邦だったが、、、、何も成果の上がらなかった 天保の改革について。 目次序章 内憂と外患と第一章…