水野忠邦

(一般)
みずのただくに

12代将軍徳川家慶のときの老中。肥前国唐津藩主→遠江国浜松藩主。
1841年から天保の改革を行った。
改革に際しては、遠山景元(遠山金四郎)、矢部定謙、鳥居耀蔵、
岡本正成、跡部良弼*1、江川英龍、後藤三右衛門光亨、
渋川敬直高島秋帆と言った人材を積極的に起用した。
しかし、人返し令、株仲間の解散、上知令を断行しようとしたが周囲の反発を買い失脚。
その後老中に再任されるも、改革時の不正発覚により数か月で罷免。
家督を実子・水野忠精に相続させた後、蟄居隠居の処分を受ける。
その後水野家は出羽国山形藩へ転封されるが、忠邦の処遇は変わらず。
嘉永4年(1851年)2月10日、56歳で死去。謹慎が解かれたのは死後5日後だった。
跡を継いだ忠精はその後、父と同じ老中職に就いている。

*1:水野忠邦の実弟。

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