原始共産制はマルクス主義の文脈で人類の歴史の最初にあったとされる狩猟採集・経済的平等な小規模社会のこと。
現代では、実際の狩猟採集小規模社会は経済的にほぼ平等であってもまったく平等とまではいかず、また集団内部には性差別や年齢差別があり、性暴力や殺人もあることが指摘されており、必ずしもマルクス主義の中の一部の文脈で考えられたようなユートピアではないといわれている。
『人間不平等起源論』『民約論(社会契約論)』などの著書でフランス革命に大きな影響を与えた哲学者ルソーは「自然に帰れ」を唱え(たとされ)、マルクス・エンゲルスは狩猟採集社会の「原始共産制」をモデルとし生産手段の独占のない原始共産社会を理想と考えました。一方、芸術家・岡本太郎氏は縄文土器に「人間性への根源的な感動、信頼感」を覚え、「超現代日本的美観」を見出しました。 今、地球環境や食料・健康危機、格差拡大、巨大都市化、独裁国家化、戦争・地域紛争など、この250年の工業・情報化社会、人工知能ロボット社会、格差社会の行く末について多くの人達が不安を抱いてきています。 そこで、過去の歴史から教訓をえよう…
オスのゴリラは11歳を過ぎるころから背から腰にかけての毛が白くなってくる。これは、シルバーバックと呼ばれ、オスのゴリラをおとなとそれより若い個体とに区別する確実な手がかりになる。 人間のオスは、歳をとると、おおむねホワイトヘッドになる(白髪頭のことね)。低学歴で地頭も良くないネトウヨのわたしは、歳を重ねても、論理力が鋭くなったり洞察力が深くなるということはない(哀しい)。断片的な知識が増えるだけである。であるがゆえに、思い出すことは増えるのである。 たとえば、「社会主義は歴史的必然なのだ」と言われていたのが、やがて「社会主義は革命的プロレタリアートが勝ち取るもの」になり、ついには「共産党が支配…
私は岡山県吉備郡総社町(両親が岡山市空襲で焼けだされて移住)→岡山市(小学生)→姫路市(中学生・高校生)と移住したため地域コミュニティ(地域共同体)とは縁のない異邦人で、夏休みなどに母親の田舎で過ごした時だけ従兄弟たちとの血縁コミュニティの居心地のよさを感じていました。 小学校に入学すると同級生たちのほとんどは同じ幼稚園からきていて仲が良く、私だけがまだ文字を知らず、中学校では当てられるたびに「岡山弁(おきゃ~まべん)」を笑われて疎外感を持ち、読書・映画・軍事おたくになり、もっぱら「外れ者」仲間たちと遊んでいました。 高校ではクラブ活動(ブラスバンド)と山登りでやっと仲間ができ、目的を同じくす…
生物進化を辿れば、原始共産制など、直ちに噓だと分かる。 集団は常に濃度分布として捉える事ができる。適度なエネルギー供給があって集団という形態が形成される。生物の場合、食料供給が最も重要なエネルギー指標である。 エネルギーが少なければ、集団は崩壊するか固定してしまう。 生物の場合、個体そのものが固定することはないので、食料が少ないとは、集団は小さくなるか、死に絶える。 反対に過度な供給があっても、集団は崩壊する。集団である必要がなくなるからだ。従って、適度な供給、エネルギー配分の仕組みがあって初めて集団となる。 集団とは、鍋の中の水の対流構造のようなものだ。 エネルギーが少なければ、対流は起きな…