「困った。誠に困った。」と台湾総督府民生局長執務室のソファーに座り、眉間にシワを寄せながら腕組みをし、口をへの字にしてボヤいている後藤新平。 その前には、賀田金三郎が座っていた。賀田は「閣下、どうされましたか?」と尋ねると後藤は「明治23年(1890年)以降、日本の人口は急増している。世界主要国家の中で、人口密度はオランダに続いて高く、農民の平均耕作地は極めて狭く、生活が困窮している。そこで、日本政府は海外への移民が問題解決に繋がると考えている。日本政府は国主導型で、アメリカ、ハワイ、ブラジルへの移民政策を既に行ったが、相手国との事前の約束事が履行されず、全てが失敗に終わった。そこで、次の移民…