★この記事は随時更新していきます★ 南北朝時代、「九州では南朝勢力が強かった」とまとめられがちですが九州北部では北朝勢力が優勢の時期が長く、観応の擾乱期には佐殿方(足利直冬勢力)が大きく勢力を広げた時期もあります。 本記事では福岡市近辺の南北朝関連の史跡を紹介します。 康永三年銘梵字板碑(1344年/北朝) 地蔵菩薩像板碑(1345年/北朝) 観応三年銘梵字石碑(1352年/佐殿方) 善導寺碇石地蔵板碑(1358年か/北朝) 聖福寺仏殿之記石碑(1368年/南朝)
本年(2025年)の1月に、茨城県の県央から県西部エリアの城跡めぐりをした際の「小幡城」跡散策レポートの続きです。
本年(2025年)の1月に、茨城県の県央から県西部エリアの城跡めぐりをしてきましたのでその際のレポートです。 まず最初に訪れたのは茨城町の「小幡城」跡です。 こちらは戦国時代の土の城では極めつけの傑作として城跡ファンの中では有名な城跡ですね。“お城男子”として、城跡ファンの端くれであるアタシも前々から訪れたいと思っており、2025年の春辺りに実行しようかなぁーなどと、ぼやぼや考えておりました。 ところが…
昨年(2024年)に栃木県足利市のご当地アルプスの足利アルプスを縦走したのち、市内の史跡を散策した際のレポートの続きです。 足利氏館跡である鑁阿寺をあとにして向かった先は「足利学校」跡です。
前回までのエントリーで、昨年(2024年)の12月に訪れた栃木県足利市のご当地アルプスである「足利アルプス」の縦走と、その途中にある「足利城」跡の散策についてレポートしました。 山行については織姫神社にゴールして終了しましたが、せっかく足利市を訪れたのですから、足利氏関連の史跡を散策することにします。
昨年(2024年)の12月中旬に、栃木県足利市のご当地アルプスである「足利アルプス」を縦走した際のレポートの続きです。
昨年(2024年)の10月後半に、長野県佐久市の龍岡城五稜郭を訪れた際のレポートの続きです。 龍岡城五稜郭の散策については前回レポートしたところまでで、ひと通り終わったものの、周囲にはまだまだ見所がありました。 そのひとつが田口城跡です。
昨年(2024年)の10月後半に、長野県佐久市の龍岡城五稜郭を訪れた際のレポートの続きです。
昨年(2024年)の10月後半に、長野県佐久市の龍岡城五稜郭を訪れた際のレポートです。 アタシなんかがいうまでもないですが、星形稜堡の西洋式城郭といえば函館の五稜郭が有名…というか、固有名詞みたいな感じですよね。
昨年(2024年)の夏の金華山ハイクと岐阜城散策をした際のレポートの続きです。 展望台で眺望を堪能しましたので、天守台方面へと向かうことにします。 太鼓櫓跡から尾根伝いにも進めるようでしたが、いったん一ノ門跡に戻ってから通路を北東方面に向かいます。