百人一首第22番目の歌の作者は文屋康秀ふんやのやすひでです。 六歌仙の一人で、小野小町とも親交があったとされています。 今回は文屋康秀について紹介します。 文屋康秀とは 生没年などは不明ですが、877年、880年頃に任官していますので、9世紀末頃の人ではあるようです。 天武天皇の子孫とも言われていますが、定かではありません。 小野小町とは親密な付き合いがあったようで、三河掾として赴任する際に誘ったところ、次の歌を返したとか。 わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ これは誘いに応じたということでしょうか。 十訓抄によれば、これは小野小町の容色が衰えた後のこと。 であ…