備後北部の三次盆地の出入口に位置する市町。 瀬戸内海と備後北部の山間部をつなぐ交通の要衝として栄えた。中世、備北の有力国人和智氏の本拠となった。 三玉大塚古墳 国人領主和智氏による寺社造営 地名からみる中世の市場 参考文献 三玉大塚古墳 現在の三次市吉舎町三玉にある三玉大塚古墳は、全長41メートルで三次盆地でも最大級の古墳とされる。形から帆立貝形古墳と呼ばれ、5世紀後半に築かれたと推定されている。 三玉大塚古墳の木棺には、かすがいを使用するという朝鮮半島の墳墓との共通点が認められ、朝鮮半島からの渡来文化の影響がみられるという。 5世紀、ヤマト王権は高句麗・新羅・百済の3国が争う朝鮮半島に出兵し…