兵庫県加古川市 加古川町備後
現在の広島県の東部。令制国の備後国に相当する地域。福山市・尾道市・府中市・庄原市・三次市・三原市など。 西に安芸、北に出雲、東に備中と隣接。
備後国がかつて吉備国の一部であった歴史的な側面や、地理的条件により備中などの岡山県との繋がり強い。北部の三次市などは地理的な側面から広島県西部(安芸)や島根県西部(石見)との繋がりが強い。
標高290m、比髙80m 主な遺構 土塁・石組み井戸・堀切・畝状竪堀群 (姫ヶ嶽城) アクセス 三次市街から「歴史街道」の愛称をもつ赤名峠越えの国道54号を北上。8kmほど進んだあたり、君田町に向かう県道62号が分岐する。この交差点の西側丘陵上に姫ヶ嶽城・大城山城がある。交差点を過ぎて左折し、小川沿いの狭い道に入れば小川に架かる鉄製の橋がある。ここから登る。 下布野村の古城について『芸藩通志』城墟蘭では次のように記している。 狐城 下布野村にあり、槇原藤五左衛門といふ者居守せしといふ、岡三淵村茶釜谷合戦に下布野村姫が岳城主槇原と伝ふれど、当村ひめが岳なし、けだし此山をいふにや 大城山 同村にあ…
標高400m、比髙8m 主な遺構 堀切・土塁 アクセス 府中市役所上下支所前から県道403号を西へ1kmほど、道の右側に水田に囲まれ、藪に覆われた低い丘が見える。これが国留城だ。 上下といえば天領の町、古い白壁の町並みで知られるが、この町並みの西方1kmほど、水田に囲まれた小さな丘に国留城がある。ここから西方に見上げる山に時鳥城・千丸松城の両城がある(案内図参照)。 城は周りを水田に囲まれた小丘にある。低い丘だけに、切岸はしっかりと急角度に造成されている。曲輪はわずかな段差で数区画に分かれるが、全体としてその規模は南北60m、東西は最大幅で50m。背後を固める土塁は主郭からみて高さ4m、外壁面…
標高500m、比髙100m 主な遺構: 堀切・土塁・竪堀 アクセス 府中市役所上下支所前から県道403号を西へ1kmほど進むと、右折して甲奴方面に向かう道が分かれ、甲奴町に向かう峠越えの道は現在トンネルで抜けている。トンネルの入口脇からトンネルの真上に登り、古い峠越えの道をすすむ。峠からは折り返して東へ、尾根伝いに登っていけば時鳥城の堀切が見えてくる。 時鳥ほととぎす城は上下町国留と三次市甲奴町の境界にある。現在甲奴町に抜ける道はトンネルになっているが、かつて峠越えの道となっていて、城はその峠道を眼下にとらえる位置を占める。 江戸末期、芸藩通志編纂のため、村々から提出させた世羅郡深江村の「国郡…
標高550m 比高20m 主な遺構 土塁・畝状竪堀群 アクセス 神石高原町役場のある小畠から県道29号を南へ1kmほど進んだところで右折。城址は右手に見える低い丘の先端にある。 城は民家裏手にある低い丘に築かれていて、城の周囲は階段状に切り開かれた農地が取り囲む。縄張り図には数段の曲輪として示したが、果たしてどこまでが城の遺構なのか判断がむつかしい。少なくとも北辺に土塁を備えた1郭だけは城の遺構に間違いなさそうで、丘上に営まれた土居屋敷のように思える。 実は、1郭から少し東にそれた北斜面側には4基からなる畝状竪堀群(といっても斜面を下る土塁型のもの)が残されていた。何せ広島県内には合計130カ…
標高240m 比髙60m 主な遺構:土塁・石垣・井戸・堀切・畝状竪堀群 アクセス JR芸備線志和地駅の南方丘陵上に八幡山城がある。板木川西岸の道を南下し、鉄道の線路を越えるとやがて東岸に渡る橋が見える。橋の正面の山が八幡山城だ。橋を渡ったところに登り口がある。 八幡山城が史上に登場するのは永正13年(1516)のことだ。この年1月、八幡山城の西方2kmにある「志和知長野城」を三吉・宍戸氏の連合軍が攻撃したので、毛利氏は同城に援軍を派遣。2月に入ると逆に毛利軍が「志和智城」を攻撃している(『萩藩閥閲録』巻41)。この志和智城が八幡山城と考えられている。 次いで天文22年(1553)尼子晴久は大内…
標高592m、比髙240m 主な遺構:曲輪・井戸? アクセス 世羅町小国から県道45号を三次方面に向かう。津田に入ると県道56号との交差点がある。左折して56号に入れば、すぐ道路脇に「津田明神山県自然環境保全地域」の案内板が現れる。ここを右折して道なりに直進すれば明神山に向かう林道に入る。道が明神山西側に回り込んだあたり、山頂に向かう登山道が分かれる。 津田明神山城全景。南西側から撮影 城の載る津田明神山は標高592m、円錐形の端正な姿の山だ。周囲には標高350m前後の世羅台地が広がるから、山頂からの眺望は大きく広がる。 山頂部はゆがんだひょうたん形の頂上稜線となっており、城の遺構も三角点のあ…
標高360m、比髙60m 主な遺構:土塁・堀切・畝状竪堀群・井戸? アクセス 世羅町小国から吉舎方面へ向け県道28号を北上。吉舎町徳市の交差点を左折し馬洗川沿いの県道56号を西へ向かう。三次市域から世羅町域に入るとすぐに横坂バス停がある。ここから道の正面右手に見える山が城跡だ。登り口は南麓の民家脇。道路脇に「竜王山城跡」の標柱がある。 江の川の支流馬洗川の最上流に位置する津田盆地から、川沿いに下って狭隘な谷間にさしかかったあたり、谷筋の視界を遮るように馬洗川に向けて突出した丘陵の先端に竜王山城が築かれている。 城は南に伸びる尾根に4つの曲輪を並べ、ここでいったん尾根をばっさりと遮断するが、その…
アクセス 白竜湖畔を走る国道432号を東に進み、和木の集落に入ると国道486号との交差点がある。これを右折し国道486号に入る。大草川の先200mほどで左折し、見正寺方面に進む。再び大草川が前方に見えれば、船山城は右手の丘にある。藤城は国道をさらに数百メートル進み、右折する。 建暦3年(1213)小早川景平から沼田新荘地頭職を譲られた季平に始まる系統は新荘小早川氏と呼ばれる。沼田新荘は沼田川の支流椋梨川に沿って広がる椋梨・小田・和木・上山・大草などの村々で、新荘小早川の本家である椋梨氏は新庄の各村々に一族を配置したから、下図のような在地名を名乗る庶子家が生まれた。 大和町椋梨にある椋梨氏の居城…
標高340m 比高110m 主な遺構 土塁・堀切・畝状竪堀群・井戸? アクセス 三次市街から庄原方面に向けて国道183号を東へ。庄原市域に入り、道の左側に山内小学校が見えれば、小学校の北西側丘陵上に葛城城がある。南麓に登り口がある。 城の由来について、『芸藩通志』は嘉暦年間(1326~29)葛城刑部永義が葛城山に鎮座していた山王社(現在の日吉神社)を現在地に移し、城を築いたとする。また「近郷古事漫筆」(『庄原市史』所収)では、山内通資が家臣江木和泉守に命じて葛城山に陣城を築かせたとするが、築城時期や山王社を移転させて築城したという点は同内容だ。しかし葛城氏・江木氏に関しては詳細不明。 葛城城は…
標高545m 比髙90m 別名 小堀城 主な遺構 堀切・竪堀・土塁 アクセス 上下の中心街から県道25号を北上。小堀の吉野郵便局を過ぎた所で右折し、上下川を渡る。やがて道が小川沿いの道になるあたり、右手に迫る低い丘が平田城だ。小川沿いの道をさらに東へ1km、中野村集落裏手の山に三見城がある。集落を通り過ぎて左折し、城跡東側の谷を北上すると城山の背後を越える山道がある。案内図に見える破線の道だ。峠からは尾根伝いに南下すればいい。 三見城 江戸期の地誌「西備名区」は城名を「小堀城」、城主を新見能登守とする。もと備中国新見城主であった新見親員が明応年中(1492−1501)小堀村に移り、その子春信が…