《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 製造から10年も経っていない1960年代後半頃になると、キワ90形は半ば余剰車のような扱いをされてしまいました。1969年には2両つくられたキワ90形のうち、キワ90 2が郡山工場へ送られて事業用車への改造を受けました。 当時、房総半島は房総東線(現在の外房線)と房総西線(現在の内房線)をはじめ多くが非電化のままで、「気動車王国」と呼ばれるほど多種多様な気動車が活躍していました。しかし、都心部からの人口流出による郊外移転などによって千葉県も宅地開発が進められ、通勤などで都心部と往復する利用客も増えたことによる輸送力の…