プロ野球選手(外野手)。1974年2月19日生まれ、東京都江東区*1出身、B型、左投左打。父は元プロ野球選手の坪井新三郎。
プロ一年目には打率.327で新人王を争い、1999年にも打率3割に到達する。しかし故障などもあり2001年以降出場機会が減少。移籍後も開幕当初は控えだったが、後に復調し右翼手に定着。打撃でも、小笠原道大と首位打者争いを繰り広げた。
2006年は開幕戦出場以来、控えに回ることが多く、出場機会が一気に減った。現在も彼の背番号の7番にちなんだ「坪井デー」は、彼の出場に関らず行なわれていた。
同年10月29日、本人のblogにおいて戦力外通告された事が発表され、同日午後には球団公式サイトでも公表された。トライアウトを受けるなど移籍先を模索したが見つからず、12月27日に大幅な減俸*2を受け入れてファイターズと再契約した。
2008年は、紺田、糸井、工藤などの若手の台頭により、外野手の残り一つの空席争いに乗れずにいた。
9月29日ドーム最終戦で代打として出場し、ライト方向にクリーンヒットを放ち、ベテランの存在感を見せ付けた。
高校、大学、社会人と名門を渡り歩き、俗に言う「エリートコース」を歩んできた選手。その経歴がそのまま彼の応援歌のファンファーレになっているが、実はこの経歴(PL学園高-青山学院大-東芝)でプロに入った選手は坪井のみである。
2010年シーズン終了をもって球団より戦力外通告。2011年正月にオリックス・バファローズへの移籍が決まる。
オリックス退団後は渡米し、独立リーグを渡り歩く。
2014年を持って、正式に現役引退を表明。
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
---|---|---|---|
1989-1991 | PL学園高校 | - | 甲子園出場なし |
1992-1995 | 青山学院大学 | - | 川越英隆と同級生 |
1996-1997 | 東芝 | - | |
1998-2002 | 阪神タイガース | 32 | 1997年ドラフト4位 |
2003-2010 | 日本ハム・ファイターズ (2004年より北海道日本ハムファイターズ) |
7 | 坪井・山田勝彦・伊逹昌司⇔下柳剛・野口寿浩・中村豊の交換トレード |
2011 | オリックス・バファローズ | 00 | トライアウト後のテスト入団 |