これほどまでに自国を他国に蹂躙された例を知らない。1586年の島津氏による豊後進攻である。 下図は島津の豊後進攻直前の豊後領国内の攻城戦に向けた主要な武将の配置図である。島津のその支配勢力地からの膨大な調達兵力(約40,000人)に比較し、大友には既に籠城戦以外の選択肢は残されていなかったと言わざるを得ない。野外決戦をやれるほどの兵力の結集も出来ず、仮にあったとしても大軍を指揮出来る武将も不足していたということである。それぞれの居城も精々500~1,000人程度の寡兵である。大友宗麟の臼杵・丹生城にも2,000人しか結集出来ていない。よって宗麟はなり振り構わず秀吉に支援を求めたのである。だが、…