日本の編集者、作家。
1921年生まれ。1946年11月、講談社に入社。1955年から1966年まで雑誌「群像」編集長を務める。1959年から1961年までは並行して「週刊現代」の初代編集長も務めた。
1991年に小説「海のまつりごと」を刊行(芸術選奨新人賞を受賞)。
2014年7月25日、十二指腸乳頭部がんで死去、92歳。
文士と文壇 (1970年)
文芸編集者はかく考える
海のまつりごと
理想の文壇を
文士とは
人間魚雷搭乗員募集―一学徒兵の特攻 (光人社NF文庫)
文士のゴルフ―丹羽学校三十三年の歴史に沿って
終戦後文壇見聞記
日本語への文士の心構え すぐれた文章を書くために
文士と編集者
今日の見出しを、はじめは「大先達」とした。おこがましいと思いなおして「別世界」とした。 小林勇の回想録や随筆集を、面白がって読んだ時期があった。岩波茂雄の片腕にして娘婿、そして岩波書店の会長だった人だ。平民視線で申せば、岩波新書という形式を発明した人であり、岩波映画を設立した人だ。岩波茂雄の傑物たるを語り残した逸話は多いが、小林勇もまた豪傑の誉れ高い人だ。岩波茂雄の伝記も著している。 退職しての晩年は山荘に独居して、厨房や日常茶飯の明け暮れを綴った随想を残した。その分野の愛読者も多いことだろうが、私はやはり、現役時代に出版人として接した、多くの傑物著者たちに触れた人物回想録が、もっとも記憶に残…
三浦雅士――人間の遠い彼方へ その1 鳥の事務所 三浦雅士――人間の遠い彼方へ 鳥の事務所 第Ⅰ部 批評家としての三浦雅士 α篇 三浦雅士 ――批評的散文詩の発明 そもそものはじめに 本稿は以前、突発的に、前の会社を辞めて、次の仕事が全く見つからなかったときに、半年ほどかけて書いた、一種の殴り書きです。テーマとなっている三浦さんには全く申し訳ないが、自らの能力的な問題で、全く的外れな文章のようなものになってしまいました。 ただ、ほっておいても仕方がないので、ここに徐々にアップしていこうと思います。その過程でなにか修正すべきことも、自分で気づくのではないかと思います。 という訳で、宜しくお願いし…
文学関係の有力出版社の編集者だった人が、引退とかして本を書くと、お世話になった作家たちが選考委員をする文学賞を貰えるという現象があるのはよく知られている。人物別に一覧にしてみた。 半藤一利(1930-2021)文藝春秋「漱石先生ぞな、もし」新田次郎賞(1993)「ノモンハンの夏」山本七平賞(98)、「昭和史」毎日出版文化賞(2006)菊池寛賞(2015) 高田宏(1932-2015)(エッソスタンダード「エナジー対話」)「言葉の海へ」大佛次郎賞(1978)「木に会う」読売文学賞(90) 宮脇俊三(1926-2003)中央公論社「殺意の風景」泉鏡花賞(1985)菊池寛賞(99)石和鷹(1933-…