1 池田徳太郎と農兵(義民)の募集 幕府による前代未聞の浪士の召募は、文久2年(1862)12月末に決定し、その徴募活動は翌年正月早々から始まった。そして、それがさらに古今未聞の出来事だったのは、浪士の徴募が出羽庄内清川村の郷士清河八郎とその同志たち(浪士取締役となった山岡鉄太郎と松岡万の「虎尾の会」旧同志含む)に一任されていたことであった。 これは、浪士召募の端緒となった政治総裁職松平春嶽への松平主税助の建白書(文久2年9月)に、「其党之近きに在者二三人を探出して幕府の難有を知らしめは、一封ニても(浪士たちが)相集まり可申候」とあったことや、清河八郎が同年11月に行った同じ松平春嶽への上書に…