先週の後半は兄弟てっちゃんちで過ごした。これまで、兄弟てっちゃんちでの滞在中は、良しにつけ、悪しきにつけ、かならず、何らかの、自我の葛藤が上がってきたりしていたのだが、今回の滞在では、そんな想いは一切出てこなかった。(相手側がどうであったかはわからないが…。) これもただ、現れては消えてゆき、そして、それを捉えている〝誰か〟もいない。眠れる神の子が見ているひとつの夢に過ぎない。 ↑胡桃堂喫茶店での語らい 一なる神の子は、父から離れた、という、罪悪感からくる、巨大な恐怖を忘れるために眠った。当然、神の子が見ているのは〝罪悪の夢〟だ。だから、僕たち一人一人に上がってくる〝ふっ〟が、罪悪の想いで占め…