以下は1.の語義における太政官以下の組織である。
*三公(さんこう)・・「太政大臣、左大臣、右大臣」もしくは「左大臣、右大臣、内大臣」
*大納言と中納言の大きな違いは、「大臣の代行」が出来る(⇒大納言)か、出来ない(⇒中納言)か・・。 *参議(さんぎ)・・”議に参加”する官職。奈良時代に設置された令外官。*1 規定では「四位以上」であるが、ほとんどは「従三位」に就いてから。 定員の関係で、参議に就けない公卿もいる。(=非参議)
*1:太政官の官職では、他に「内大臣」と「中納言」が令外官。
縄文の教え88 より アマテルが基を築いた徳治の原則には、両羽の臣による分権輔弼の仕組みがありました。鏡の臣と剣の臣によってバランスをとる、という近代の三権分立にもつながる治政の要諦でした。けれども、神武の大和朝以降は、両羽制が形骸化されていきます。その代替えに生まれたのが「食国臣/けくにとみ」と「斎主/いわひぬし」です。 「けくにとみ」は、先ず「みけなへまつりもうすをみ/神饌供え祭り申す臣」として、コヤネの孫であるアメタネコと鰐彦クシミカタマが、神武の大嘗祭の折にふたりで任命されました。ユキ・スキの宮に神饌を供えて、天地の神を祭り供奉しました。この時は祭事の臨時官であり、常設ではなかったよう…
太政官組織図 二官八省制における太政官は現在の内閣に相当し、太政大臣、左右大臣、大納言、弁官、少納言、外記、史から構成されています。大宝律令制定当時の太政大臣は名誉職のようなもので、皇族で皇太子につぐ有力者がなると考えられていました。 759年に格の高い太政官の地位に臣下の藤原仲麻呂がはじめて太政大臣に任命され、やがて実権を握る実力者の象徴となりました。平安時代前期に藤原良房と基経(もとつね)が藤原氏の最上位の者がこの地位につくようなる方式をつくり、独占していきます。 yaseta.hateblo.jp yaseta.hateblo.jp 左大臣と右大臣は太政大臣に持ち込まれた政務を管轄し、重…