律令官制の役職名。 官位相当は正二位・従二位。 職掌は、政務の統治・綱目の掲持・庶事の惣判。つまり太政官の政務全般を実質的に総裁すること。また、弾正台が糺すことのできないような案件があった場合には代わって弾劾する。 明治初期にも設置され、天皇を輔佐して大政を統理するものがあったが、内閣制度が制定されると廃止された。
ちなみに、日本では左大臣が右大臣に優位するとされているが、中国は逆になる。
🌹夫婦の溝は 埋まらない【源氏物語104 第七帖 紅葉賀6】 源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。 例のように夫人からは 高いところから多情男を見くだしているというような よそよそしい態度をとられるのが苦しくて、 源氏は、 「せめて今年からでもあなたが暖かい心で 私を見てくれるようになったらうれしいと思うのだが」 と言ったが、 夫人は、 二条の院へある女性が迎えられたということを聞いてからは、 本邸へ置くほどの人は源氏の最も愛する人で、 やがては正夫人として 公表するだけの用意がある人であろうとねたんでいた。 自尊心の傷つけられていることはもとよりである。 しかも何も気づかないふうで、 戯…
太政官組織図 二官八省制における太政官は現在の内閣に相当し、太政大臣、左右大臣、大納言、弁官、少納言、外記、史から構成されています。大宝律令制定当時の太政大臣は名誉職のようなもので、皇族で皇太子につぐ有力者がなると考えられていました。 759年に格の高い太政官の地位に臣下の藤原仲麻呂がはじめて太政大臣に任命され、やがて実権を握る実力者の象徴となりました。平安時代前期に藤原良房と基経(もとつね)が藤原氏の最上位の者がこの地位につくようなる方式をつくり、独占していきます。 左大臣と右大臣は太政大臣に持ち込まれた政務を管轄し、重要案件を扱い、決裁にあたりました。大納言は天皇に近侍して諸事を天皇に現上…
大宮は力をお落としになって、 「たった一人あった女の子が亡くなってから 私は心細い気がして寂しがっていた所へ、 あなたが姫君をつれて来てくれたので、 私は一生ながめて楽しむことのできる宝のように 思って世話をしていたのに、 この年になってあなたに信用されなくなったかと 思うと恨めしい気がします」 とお言いになると、 大臣はかしこまって言った。 「遺憾《いかん》な気のしましたことは、 その場でありのままに申し上げただけのことでございます。 あなた様を御信用申さないようなことが、 どうしてあるものでございますか。 御所におります娘が、 いろいろと朗らかでないふうでこの節邸《やしき》へ 帰っておりま…
内大臣は車中で娘の恋愛のことばかりが考えられた。 非常に悪いことではないが、 従弟どうしの結婚などはあまりにありふれたことすぎるし、 野合の初めを世間の噂《うわさ》に上されることもつらい。 後宮の競争に女御をおさえた源氏が恨めしい上に、 また自分はその失敗に代えて あの娘を東宮へと志していたのではないか、 僥倖《ぎょうこう》があるいはそこにあるかもしれぬと、 ただ一つの慰めだったこともこわされたと思うのであった。 源氏と大臣との交情は睦《むつ》まじく行っているのであるが、 昔もその傾向があったように、 負けたくない心が断然強くて、 大臣はそのことが不快であるために朝まで安眠もできなかった。 大…
こんにちは、暖淡堂です。 ジェームズ・ジローさんのブログ記事に「左遷」のことが書かれていました。 1月25日は菅原道真(菅公)が太宰府に左遷された日とのことです。 kuu-ki.hatenablog.com で、気になったのが左遷の「左」。 なんで「左(ひだり)」なんでしょうね。 goo辞書には以下のように書かれていますが、どうして右がよくて左がよくないのかがわかりません。 dictionary.goo.ne.jp 我が家の書棚にある白川静さんの「常用字解」によると「左」は神に仕える人(巫祝)が左手に呪具(工)を持つ姿で、神のいる所を尋ね、神の助けを求める、という意味だそうです。 で、一方の「…
「私は病気によっていったん職をお返しした人間なのですから、 今日はまして年も老いてしまったし、 そうした重任に当たることなどはだめです」 と大臣は言って引き受けない。 「支那《しな》でも政界の混沌《こんとん》としている時代は 退いて隠者になっている人も治世の君がお決まりになれば、 白髪も恥じずお仕えに出て来るような人を ほんとうの聖人だと言ってほめています。 御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に 改めて頂戴《ちょうだい》することはさしつかえがありませんよ」 と源氏も、 公人として私人として忠告した。 大臣も断わり切れずに太政大臣になった。 年は六十三であった。 事実は先朝に権力をふるった…
見し人の 雨となりにし 雲井さへ いとど時雨《しぐれ》に かきくらす頃 葵の上を偲ぶ 源氏と中将‥ 中将の歌に答えて by 源氏の君🪷 〜愛した妻が雲となり雨となってしまった空までが ますます時雨で暗くなり 私も泣き暮らしている今日この頃です。 【第9帖 葵 あおい】 「相逢相失両如夢《あひあひあひうしなふふたつながらゆめのごとし》、 為雨為雲今不知《あめとやなるくもとやなるいまはしらず》」 と口ずさみながら頬杖《ほおづえ》をついた源氏を、 女であれば先だって死んだ場合に魂は必ず離れて行くまいと 好色な心に中将を思って、 じっとながめながら近づいて来て一礼してすわった。 源氏は打ち解けた姿でい…
頭中将をこき下ろす毒舌 紫式部殿 !(◎_◎;) 〜源氏の中将は青海波を舞ったのである。 二人舞の相手は左大臣家の頭中将だった。 人よりはすぐれた風采《ふうさい》のこの公子も、 源氏のそばで見ては 桜に隣った深山《みやま》の木というより言い方がない。 💠第七帖 紅葉賀 💠 朱雀《すざく》院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。 その日の歌舞の演奏は ことに選《よ》りすぐって行なわれるという評判であったから、 後宮《こうきゅう》の人々はそれが御所でなくて 陪観のできないことを残念がっていた。 帝《みかど》も藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご》に お見せになることのできないことを遺憾に思召《おぼ…
帝は御容姿もおきれいで、 深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、 尚侍は知っていて、 源氏はすぐれた男であるが、 自分を思う愛はこれほどのものでなかったということも ようやく悟ることができてきては、 若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、 自分の名誉を傷つけたことはもとより、 あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、 それも皆自分が薄倖《はっこう》な女だからであるとも悲しんでいた。 🌿🎼優しい日だまりと、静寂(The calm and quiet sunny place)🌿 ☘️written by蒲鉾さちこ 少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounag…
春になったが帝《みかど》に御悩《ごのう》があって 世間も静かでない。 当帝の御子は右大臣の女《むすめ》の 承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》の腹に皇子があった。 それはやっとお二つの方であったから 当然東宮へ御位《みくらい》はお譲りになるのであるが、 朝廷の御後見をして政務を総括的に見る人物に だれを決めてよいかと帝はお考えになった末、 源氏の君を不運の中に沈淪《ちんりん》させておいて、 起用しないことは国家の損失であると思召《おぼしめ》して、 太后が御反対になったにもかかわらず赦免の御沙汰《ごさた》が、 源氏へ下ることになった。 🪷🎼灰の扉 written by のる🪷 少納言のホー…