夷陵の戦い(いりょうのたたかい)
222年に蜀と呉の間で起こった戦争。
先に、関羽を討たれ呉に復讐せんと準備を整えている矢先、張飛までもが部下に裏切られ死ぬ。これに激怒した劉備は呉への復讐を決意。趙雲や諸葛亮が諫めるも劉備は出陣した。初め蜀軍優勢であったが森林に陣を敷いていた蜀軍は陸遜の火計により大敗。蜀軍の将軍、兵士等おびただしい被害をだし蜀は敗退。白帝城まで退却し、劉備が死ぬ事で終戦した。
【陸遜詳細解説】呉の若き才将、夷陵の戦いで輝いた戦略家 はじめに 陸遜(りくそん、183年頃 – 245年)は、三国時代の呉を支えた有能な軍師・武将です。特に、夷陵の戦いにおいて、劉備率いる蜀軍を見事に撃退し、呉の存続と独立を確固たるものにしたことで名高いです。陸遜は、その冷静かつ柔軟な戦術と、徹底した部下管理により、呉の軍事戦略を一新し、後世に多大な影響を与えた名将として評価されています。 生い立ちと背景 出自と学問陸遜は、名門陸氏の出身で、幼少期から優れた才知と学識を示しました。彼は若くして科挙や書物に親しみ、政治・軍事の知識を深めました。 呉への仕官陸遜は、孫策や孫権の治世下でその才能を…
皆さん、こんにちは!これを書いているのは真冬、劉備が体験した酷暑でも少し憧れを感じてしまう季節です。 さて、今回のテーマは夷陵の戦い、以前取り上げた陸抗の父である陸遜が劉備を破った戦いとして知られています。 戦史は好きですが、ここでは現地の感覚にどちらかといえばスポットを当てて記してみたいと思います。 劉備について さて、この戦を取り上げる前に、劉備が戦上手であったことを取り上げたいと思います、それも皆さんが思う『演義』のイメージよりはるかに。 劉備は徐州を始め戦に負けて全てを放り出すイメージが強いですが、実際は曹操や騎兵隊長としての曹仁など最強クラスの武将に大量の兵力差がある時以外は結構勝っ…
さて、今回陸遜の5回目の紹介じゃな。陸遜自身については夷陵の後にもまだ続くのでもう一回ぐらい紹介しておきたいが、夷陵の戦い自体は今回で締めておきたいのう。それでは見ていくとしよう。
さて、今回陸遜の3回目の紹介じゃな。今回は夷陵の戦いを軽く見ていくとしようかのう。これも人によって解釈がバラバラであることから、かなり難しい戦いになりそうじゃな。