三国志の時代、関羽の仇討ちのために出兵した劉備が、陸遜の策に嵌って大敗し逃げ込んだ城。劉備はこの城で最期を迎えた。 白帝城は白帝山にあるが、白帝山は三峡ダムの完成によって長江に浮かぶ孤島になってしまうとのことだ。 白帝城の名前の由来は後漢初にこの地に独立国を築いた公孫述が自らを白帝と称したことによる。 数々の詩が詠まれたことから「詩城」という別称を持つ。
ちなみに犬山城(愛知県犬山市)は白帝城の別名を持つ。荻生徂徠が城の景観の美しさを見て李白の詩から引用し讃えたことから由来しているという。
皆さん、こんにちは!これを書いているのは真冬、劉備が体験した酷暑でも少し憧れを感じてしまう季節です。 さて、今回のテーマは夷陵の戦い、以前取り上げた陸抗の父である陸遜が劉備を破った戦いとして知られています。 戦史は好きですが、ここでは現地の感覚にどちらかといえばスポットを当てて記してみたいと思います。 劉備について さて、この戦を取り上げる前に、劉備が戦上手であったことを取り上げたいと思います、それも皆さんが思う『演義』のイメージよりはるかに。 劉備は徐州を始め戦に負けて全てを放り出すイメージが強いですが、実際は曹操や騎兵隊長としての曹仁など最強クラスの武将に大量の兵力差がある時以外は結構勝っ…