奥平謙輔が実権者として佐渡ヶ島に乗り込んだのは、明治元年十一月のことだった。 翌年八月には職を擲(なげう)って帰郷とあるから、彼の統治は一年足らず、十ヶ月かそこらに過ぎない。 だがしかし、と言うべきか。斯く短期にも拘らず、佐渡ヶ島が負わされた傷痕たるや重大で、まこと瞠若に値する、戦慄すべきものがある。 折から高まりつつあった廃仏の凶風(かぜ)。隠そうにも隠しきれない維新史の恥部。神仏分離の実行に、この長州系維新志士は度外れた情熱を発揮した――そりゃもう派手にやっちまった(・・・・・・)らしいのだ。 (Wikipediaより、佐渡ヶ島尖閣湾) 後年『東京日日新聞』所属の記者が該地を訪れ、物したル…