以上が好太王碑に刻まれた四世紀後半から五世紀初頭の倭と朝鮮の風景である。そして我々の知る日本史の中には、これ等の出来事に呼応するだけの明確な痕跡がない訳だが、確かに碑文自体は高句麗側の視点で語られているにせよ、その内容が全くの創作であろう筈もない。もし十九世紀に入って偶然この石碑が発見されなければ、我々はかつて日本と高句麗が戦ったという事実さえ永久に知らなかったことを考えると、まさにこれは天恵と呼べるほどの大発見だったと言える。従ってこの発見を我々自身の歴史とするためには、国内に伝わる日本史と好太王碑の記述を一体化させる作業が必要になる。そこでまず碑文の方を簡単な年表にしてみると次のようになる…