第14代の天皇。
足仲彦天皇、若帶日子天皇とも。 日本武尊(倭健命、ヤマトタケル)の第二子。母皇后は両道入姫命、活目入彦五十狹茅天皇(垂仁天皇)の女子なり。
后は気長足姫尊(神功皇后)。 子には香坂皇子、忍熊皇子、誉屋別皇子、誉田天皇(応神天皇)がある。
香椎宮御朱印 参拝日:令和6年(2024年)3月28日 二ノ鳥居 三ノ鳥居 楼 門 手水舎と絵馬堂 狛 犬 御神木(綾杉) 中 門 本 殿 社務所 摂社末社 稲荷・鶏石神社 武内神社 巻尾神社 一ノ鳥居 御祈祷受付時間 アクセス 昨日時間が無くて寄れなかった香椎神宮 今日は朝早くから博多駅から香椎神宮駅、午前8時香椎神宮到着。 二ノ鳥居 境内結構広そうです。 参道に一本早咲きの桜が咲いてとても綺麗でした。 三ノ鳥居 楼 門 三ノ鳥居を潜って太鼓橋を渡れば大きな楼門。 楼門重層の桧皮葺総欅白木造で明治36年追遠会事業により再建されました。左右の筋塀は寺社の最高位を示す五本筋となっています。出典:…
記紀によると仲哀天皇は神の怒りにふれて崩御されたとされている。 実際には何があったのか? 暗殺説 現代人の感覚からすると暗殺されたように見えるが、暗殺とすると、誰が暗殺したのか。 首謀者は敵か身内か。敵としては北九州勢や熊襲が考えられるが、敵による暗殺の場合は、その後の影響としては、後で論じる戦死説と同じである。 身内の場合、崩御後に利益を得た者が怪しい。多大な利益を得たのは、神功皇后、武内宿禰、このほか、和珥氏の建振熊、吉備氏となるが、暗殺の首謀者となると、①神功皇后か②武内宿禰になる。 ①神功皇后による暗殺説 仲哀天皇崩御後、神功皇后は忍熊王を滅ぼし自分の子の応神天皇の即位への道を開いた。…
記紀によると、仲哀天皇は関門海峡を制圧した後、北九州を制圧し日本統一を果たす直前で斃れた。崩御後、神功皇后が北九州と任那を制圧し、畿内に戻り、反対勢力を駆逐して、日本統一後の最初の天皇として応神天皇が即位した。 具体的に何があったのであろうか? 「仲哀天皇の事績① - 上古への情熱」からの続き。 経緯③長門国へ出兵 『熊襲反乱の報に接し、仲哀天皇は紀伊国から長門国に船で出兵、敦賀気比宮の神功皇后にも船で長門国へ出兵させた。出兵後、即位2年6月には長門国の豊浦津に入り、7月には神功皇后が合流した。』 熊襲は景行天皇九州巡幸によって征服されたとされていることから、このタイミングでの熊襲反乱は、景行…
記紀によると、仲哀天皇は関門海峡を制圧した後、九州に上陸。最後に残された北九州を制圧し日本統一を果たす直前で斃れた。崩御後、神功皇后が北九州と任那を制圧し、畿内に戻り、反対勢力を駆逐。日本統一後の最初の天皇として応神天皇が即位した。 具体的に何があったのか? 経緯①敦賀進出 『仲哀天皇は即位元年閏11月に越からの献上品の邪魔をした異母弟の蒲見別王を滅ぼし、即位2年2月に敦賀の気比宮に入った』 息長宿禰王に庇護された仲哀天皇は、即位直前に琵琶湖決戦で近江の成務天皇に勝利したと考えられる(仲哀天皇勝利への道 - 上古への情熱)。 古事記の崩年干支から成務天皇崩御の年は西暦355年。仲哀天皇の勝利の…
関門海峡を制圧する前の大和盆地の政権は、朝鮮半島との交易を日本海経由の丹波―琵琶湖―山代―大和の経路に頼っていた。関門海峡制圧に失敗した景行天皇は、晩年に琵琶湖経営に乗り出す。琵琶湖を支配する息長王家との摩擦が表面化する。 景行朝は関門海峡制圧できず 景行天皇による九州巡幸の経路を見ると、中部から南部の九州を巡っているものの、関門海峡と九州北岸には近づいていない。 関門海峡は言うまでもなく大陸交易の要所であり、景行天皇の九州巡幸伝承は、朝鮮半島への交易路確保のため関門海峡から北九州の制圧を企図したが失敗したと解釈できる。 景行天皇近江遷都の意味 晩年には方針転換し、大和盆地から琵琶湖西岸の大津…
景行天皇には皇后として、即位前にワケられて赴任した先の播磨の実力者で耳王家系の後裔である播磨イナビ大娘皇后と、即位後に制圧した美濃の八坂入姫皇后がいる。景行朝から応神朝への推移はこの播磨対美濃の構図と捉えると理解しやすい。 景行天皇即位の経緯 景行天皇が即位した経緯については「シナリオ:3世紀後半から4世紀前半『垂仁天皇、景行天皇、ヤマトタケル』 - 上古への情熱」の通りであるが、景行天皇は本来の後継者である五十瓊敷入彦を大和盆地から追い出して即位した。 五十瓊敷入彦は美濃で滅ぼされており、景行天皇は五十瓊敷入彦の資産を継承し、八坂入姫を皇后としたと解釈できる。 播磨勢力と美濃勢力の対立 播磨…
前回の記事では百舌鳥古墳群最大の仁徳天皇陵と堺市博物館の展示品を見てきました。 なぜ堺にこれだけ多くの古墳を作ったのでしょうか、当時の状況を『記紀』から見ていきたいと思います。
古代の天皇の宮とされる伝説の地を紹介していく。これより土地とそれに紐づくエピソードを探していく。今回はシリーズ第4弾、成務、仲哀天皇を次の流れで紹介する。 ・第13代・成務天皇:志賀高穴穂宮・成務天皇期の出来事・成務天皇の人物関係・第14代・仲哀天皇:志賀高穴穂宮、等・仲哀天皇の人物関係・古代における山口県・朝鮮半島と倭国の4世紀から5世紀前半にかけての歴史・仲哀と塵輪鬼・まとめ ■第13代・成務天皇:志賀高穴穂宮志賀高穴穂宮は景行天皇と同様の宮、滋賀県大津市穴太に比定されている。 なお纒向日代宮から志賀高穴穂宮まではどれくらいの距離かというと、ルートによるが64km~72kmくらいの距離。 …
【中古】 女龍王神功皇后〈上巻〉価格: 2980 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 播磨国の一地方を支配する葛城垂水王の娘、葛城高額媛は一族のムジナを愛していたが、ヤマトの三輪王朝(崇神天皇の皇統)の息長宿禰王との婚姻が決まっていた。その直前、媛は龍神の力でムジナと共に召され、ムジナの子を身籠もる。媛はそのまま息長宿禰王に嫁ぎ、息長姫(のちの神功皇后)を生む。 愛する高額媛と離されたムジナは、失意の中「海人」として南九州へと渡り、隼人族の王に仕える。朝鮮半島への航海の途中で嵐に遭い若狭国に漂流するが、そこには海の神に仕えるために敦賀に来ていた高額媛の娘、息長姫がいた。2人とも運命の出会いを感じ…
系図から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は、西暦300年代後半から400年まで。 足仲彦即位(仲哀天皇350年頃)時点で、関門海峡・北九州以外は勢力下に置いていた。また朝鮮半島では新羅や百済が国として形成されはじめて、皇后の息長足姫(神功皇后)は新羅の権益(母方が新羅王子天日槍の子孫)を有していたことから、関門海峡、北九州、新羅の制圧を企図した。 そこで若狭水軍を息長足姫に束ねさせ、紀伊水軍を武内宿禰に束ねさせて、瀬戸内海と日本海から関門海峡を挟み討ちにし念願の関門海峡制圧に成功した。 ここで不測の事態が起こる。足仲彦(仲哀天皇)が急死してしまっ…