第16代の天皇。
大鷦鷯天皇、大雀天皇とも。 誉田天皇(応神天皇)の第四子。母は仲姫命、五百城入彦皇子の孫ナリ。
子女には、去来穂別天皇(履中天皇)、住吉仲皇子、瑞齒別天皇(反正天皇)、雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)、大草香皇子、幡梭皇女がある。
記紀に伝える仁徳天皇の善政 善政とは何だったのか 記紀に伝える仁徳天皇の善政 応神天皇が崩ずると、暫しの空位期間を経て、実弟(公称上は実子)の大鷦鷯尊が即位した。仁徳天皇である。そして歴代天皇の系統の中では、この第十六仁徳天皇から第二十五代武烈天皇までの十代(途中兄弟相続が四回あるので世代にして五代)が、大鷦鷯尊の系譜に連なる所謂仁徳系の天皇になる。やがて子が無いまま若くして武烈帝が崩じたため、応神天皇五世の孫に当たる男大迹王が、大伴大連等によって近江から迎えられて即位し(継体天皇)、皇位の系統は再び応神系に戻されている。 仁徳帝の事績の中で、記紀が共に多くの文字数を割いているのは、天皇が民衆…
本記事はアフィリエイト広告を利用しています 記事内に商品プロモーションを含む場合があります こんばんわー 相変わらずLINEのメッセージ着信の通知がまったく来ないうめじろうです・・ LINEのメッセージのとこ開いて初めて赤い丸数字が出てて知るという・・・(-_-;) 一体なんなんでしょうね?太陽フレアの仕業か・・!(またそっちいく・・^^;) もう、ええけど。(^^; 高品質iPhone販売【ハピネスネット】 さてさて、最近のお米・・・高いわよねえ~~・・・(*´Д`)(ってなんで急におねえ・・^^;) なんだか高騰したガソリンと同じように見えてしまうのは私だけでしょうか・・(~_~;) ガソ…
謎とされる古代豪族の一人、巨勢氏について。仁徳天皇とは巨勢氏を想定した人物ではないか。次の流れで紹介していく。 ・巨勢氏(こせうじ)・許勢小柄宿禰・続日本紀、751年の2月の条・巨勢男人(こせのおひと)・巨勢徳多(こせのとこた、とくだ、とこだこ)・巨勢山古墳群・條ウル神古墳・巨勢比良夫(こせのひらぶ)・雀部・仁徳天皇と大雀・新羅の初代王・赫居世居西干(かくきょせいきょせいかん)・星河建彦宿禰・仁徳天皇に関する推測・平群木菟と大鷦鷯天皇の名前交換エピソードは何を意味しているのか■巨勢氏(こせうじ) 現在の奈良県御所市古瀬(かつては大和国高市郡巨勢郷)を本拠とした豪族。 御所市(ごせし)の名前の由…
新年あけましておめでとうございますm( )m本年もよろしくお願いいたします。2025年の冒頭は前回の続き、これまでも当ブログで紹介した #住吉大社と #仁徳天皇陵 を結ぶラインについてあらためて。#サイノカミ信仰 目次 第一本宮で直角に交わる差東西と南北のライン 基準点となる石舞台 北の「種貸」サイノカミ信仰のこん跡 南の「陰陽石」サイノカミ信仰のこん跡 前方後円墳はサイノカミ墳墓(出雲口伝) 本文 www.zero-position.com 第一本宮で直角に交わる差東西と南北のライン 前編は、住吉大社の東西の祭祀ラインから、海神(海童、わだつみ)三神が第14代仲哀天皇(表筒男命、第三本宮)、…
三皇子の出自 三皇子の関係 大鷦鷯尊の正体 三皇子の出自 一旦ここで話を戻して、応神帝による太子選定を最初から見直してみることにする。そもそも応神帝はなぜ末子の菟道稚郎子を後嗣にしたかったのか。元より応神帝の真の思惑や、諸皇子を取り囲む環境などは、今となっては知る由もない訳だが、単に偏愛していたからという理由だけで郎子を選んだのであれば、それこそ君主失格と言われても仕方がない。そこで応神天皇の名誉のためにも、この末子相続には然るべき理由があったという前提に立った上で、史書の行間に隠れた歴史の真実に迫ってみたいと思う。 まず改めて大山守皇子の系譜を見ておくと、生母の高城入姫命は、景行帝皇子の五百…
古代朝鮮、集安高句麗碑にみられた河伯について。河伯は日本書紀の中にも登場する。これまで紹介してきた朝鮮の遺跡・碑文・墓誌などよる考古学的内容を背景としつつ、古代に東アジアで何が起きていたかを探る。次の流れで紹介していく。 ・集安高句麗碑・河伯(かはく)・朱蒙(しゅもう)・解慕漱(かいぼそ、へモス)・解慕漱のラテン語読み・日本書紀の河伯・仁徳天皇・十一年・仁徳天皇について・大兄の官名・難波の堀江 ■集安高句麗碑集安市麻線郷麻線河の西岸で出土した石碑。全部で218文字程度の碑文。 碑文には、・始祖は鄒牟王であるとする・広開土王の統治と領土を切り開いた・広開土王は河伯の孫であるとする・守墓条令を公布…
阪急の池田駅から、五月山方面に歩いて約15分ほど、五月山動物園のお隣に伊居太神社があります。 伊居太と書いて「いけだ」と読みますよ。 こちらは創建が西暦390年と驚くほど古く、池田市に現存する神社では最古のものです。 西暦390年と言われてもいまいち……という方にはこちらの方がわかりやすいかもしれませんね。 なんと、古墳時代です! 今回、秋が近づいてきた木漏れ日がキラキラと美しい風光るある日に、池田市が誇るパワースポットでもある伊居太神社を参拝してきましたので、紹介します。 *伊居太神社の基本情報 ・簡単な歴史 ・お祭り情報など *伊居太神社の境内案内 *伊居太神社の基本情報 ・正式名称:穴織…
古事記に見る皇位継承 日本書紀に見る皇位継承 太子と大鷦鷯尊の譲り合い 古事記に見る皇位継承 応神天皇から仁徳天皇への皇位継承については、未だ解読されていない事案がいくつか存在する。元より史書が故意にそれを隠している訳だから、そこに多少の違和感を覚えたとしても、取り敢えずその場は史書を信じて先へと読み進めるしかないのだが。そうして記紀の成立から約千三百年の間、誰もが敢て異議を唱えることなく読み流してきた通説について、改めてここで再考してみようと思う。因みに記紀の設定では、大山守命が長兄、大鷦鷯尊(大雀命)が次兄、菟道稚郎子(宇遅能和紀郎子)が末弟となっている。まず記紀に伝える応神帝崩御から仁徳…
この年六月九日、新都の政事始めとして、造営の計画が練られた。 上卿《しょうけい》には徳大寺の左大将 実定卿《じっていのきょう》、 土御門宰相《つちみかどのさいしょうの》中将 通親卿《とうしんのきょう》、 奉行弁《ぶぎょうのべん》には、 前左少弁行隆《さきのさしょうべんゆきたか》が任ぜられ、 役人多数引きつれて土地の検分を行ない、 和田の松原の西の野を九条まで区割りしたところ、 一条から五条までは土地があったが、それ以上の場所がない。 この報告を受けた政府では、 それなら播磨《はりま》の印南野《いなみの》か、 この摂津の昆陽野《こやの》かなどと公卿会議の席上でも討論されたが、 実行に移されるとも…
大阪には日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳があるように古代から栄えてきた地域でした。 そのため現在の大阪にも古代から受け継がれてきた地名が多く残っています。 大阪市の24区の中から古代の地名が由来となる区を紹介していきます。 浪速区(なにわく)の由来は王仁の歌か? 此花区(このはなく)の由来も王仁の歌か? 住吉区(すみよしく)の由来は住吉津か? 都島区(みやこじまく)の由来は古代の都? 天王寺区(てんのうじく)の由来は 平野区の由来は坂上広野麿 福島区(ふくしまく)の由来は菅原道真 浪速区(なにわく)の由来は王仁の歌か? 百済からきた博士、王仁(わに)が詠んだといわれる「浪速津に 咲くやこの…