重い話 第二次世界大戦中、この地に宇佐海軍航空隊が練習用航空隊として開隊されたそうです。その後、太平洋戦争が始まり、掩体壕も作られ始めます。この上部を覆われたタイプの掩体壕は、終戦の年(昭和20年)の1月から作られたようです(現在10基残ってるらしい)。 掩体壕だとバレぬよう、土を盛り上に草を生やしてあります。しかし、米軍の撮影した当時の航空写真には掩体壕がはっきり写っていて、意味が無かったようですね。 航空隊を狙ってでしょうか、3月からは何度も空襲があり(計10回か?)、すさまじい爆撃で多くの人々が亡くなっているそうです。近くの小学校の塀に残っている銃弾跡、爆撃でできた池を見てきました。 こ…