備前国の戦国大名。本来は、地形に由来する「浮田」姓と思われるが、嫡流は「宇喜多」(宇喜田)、庶流は「浮田」を称した。通り字は代々「家」(いえ)の後、「秀」(ひで)を用いている。代々相伝の幼名は、宇喜多興家から宇喜多秀家の子・宇喜多秀規まで「八郎」が継承されている。家紋は剣片喰(剣酢漿草)、他に雨竜や亀など。近世では五七の桐や五三の桐を用いている。旗紋は兒文字と考えられているが、剣片喰や唐太鼓も散見され、兒文字は他の武将の旗紋の可能性もある。
2024年9月28日から9回にわたり「関ヶ原の戦い@安濃津城」として、現在の三重県津市・津城跡周辺を舞台にした東軍・西軍の戦いについて述べてきました。 長くなりましたので以下に戦いのあらすじと、ブログ記事(イラスト回含む)のリンクを並べます。 前提:慶長5年の安濃津城の戦いについて 関ヶ原の戦いは慶長5(1600)年9月15日に現在の岐阜県関ケ原町で行われた大会戦です。7月中旬に大阪方(西軍)が伏見城を攻めてから関ヶ原の戦いの本戦までの間、日本全国で軍事衝突が起こりました。*1 安濃津城の戦いは、8月下旬に伊勢国安濃津(現・三重県津市)で行われた攻城戦で、東軍・富田信高らが籠る安濃津城を、本戦…
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおける脱出劇というと、島津義弘(しまづよしひろ)がよく知られている。美濃国関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)から国許の南九州まで、長い道のりを生還した。 関ヶ原から南九州まで落ちのびた大名がもうひとりいる。宇喜多秀家(うきたひでいえ)だ。 宇喜多秀家は島津家に匿われ、大隅国牛根(うしね、鹿児島県垂水市牛根麓)に隠れ住んだ。その潜伏場所を訪れてみた。 宇喜多秀家潜居地跡 宇喜多秀家ってこんな人 関ヶ原から薩摩落ち 宇喜多秀家公潜居地跡を散策 七人塚へ 八丈島に流される 宇喜多秀家ってこんな人 宇喜多秀家は備前国の岡山城(おかやまじょう、現在の岡山市北区)を…