寛元四年(1246)、前将軍藤原頼経と北条氏有力一門の名越光時を中心とした反北条時頼のクーデター未遂事件。
北条得宗家による専制政治が始まるのは北条時頼公の時代である。宝治合戦で三浦が滅び、建長の政変で摂家将軍を廃して親王将軍を擁立したことで、将軍権力が弱まり執権北条氏、特に得宗家への権力集中が進んだのじゃ。今回は「建長の政変」についてまとめておくぞ。 建長寺所蔵の北条時頼像(Wikipedia)
「宮騒動」について、名越光時らが北条に粛清された様子がよくわからんなあと思っていたところ、「吾妻鏡」に記録が残っていたので、今回はそれを備忘録として書いておきたい。 北条経時が眠る天照山蓮華院光明寺(鎌倉県鎌倉市)