「宿善」について述べたいとおもいます。 「宿善」は、親鸞会では時代によって頻繁に使用されたり、あまり使われなくなったりしてきました。 解釈の間違いを指摘されると「要門」「光に向かう」「遍照の光明」「深信因果」「白道」などと煙に巻くように用語を替え、同じことを会員に要求します。 その根底には親鸞会の活動(財施、布教、参詣)によってのみ「宿善」が厚くなる、という設定がガッチリと存在しています。 その理屈の大部分は、組織経営のためものと考えてよいと思います。 なので、どのような言葉に取り替えられても浄土真宗とは異なるものです。 自分自身を振り返ってみますと、時間、金銭などあらゆるものを総動員して、少…