最澄は822年に、空海は835年に遷化する。(なお空海は死んではおらず、生死の境を超えて永遠の瞑想に入っていることになっている。高野山奥之院にいる彼のもとに、1日2回食事と着替えが届けられる、という儀式が今も行われている。)この二大巨頭の死後、2つの教団はどのように発展していったのだろうか? まずは天台宗から。最澄の死後、彼の後継者たちは未完であった天台宗の教義の確立をせんとする。だが空海の真言宗との関係性は途絶え、これ以上の密教経典の借用は望めない。ならばいっそ、ということで改めて遣唐使の船に乗って、本場の密教を学び直しに行ったのである。倭寇の時代とは大違いで、当時の日本の航海技術は極めて低…