石見国温泉郷の国人領主。官途名は信濃守。初名は隆長か。当初は周防大内氏に属していたが、同氏衰退後は出雲尼子氏に属した。弘治年間から尼子方として毛利氏と戦い、補給基地でもある温泉津をおさえて、尼子氏の石見銀山支配を支えた。永禄五年(1562)六月頃に没落し、尼子氏の富田城籠城戦に加わった。 16世紀前半の温泉氏 温泉信濃守隆長 出雲尼子氏に属す 小笠原氏の降伏 福光要害の戦い 温泉氏の没落 石見帰還の願い 温泉氏の支配領域 参考文献 16世紀前半の温泉氏 永正三年(1506)、温泉英永は生まれた。ただ文安元年の温泉次郎以降、温泉氏の動向は16世紀中頃まで確認できない。しかし温泉氏の本拠とみられる…