岡本忠成(1932年-1990年)
大阪大学法学部を卒業後、2年間の会社勤務を経て日大芸術学部でアニメーション制作を学ぶ。持永只仁のMOMプロダクションでアニメーターとしての経験を積み、1964年には株式会社エコーを設立。以後、短篇人形アニメーションを中心に自らプロデュースと演出を手がける。平面、立体、半立体を自在に使い分け、木、皮、布、毛糸、紙、粘土、プラスチック、金属、発泡ウレタン、杉板、張り子など一作ごとに異なる素材と技法を用いている。「ホーム・マイホーム」(1970)のほか「うたのシリーズ」3作品(1968-70)、「NHKみんなのうた」シリーズ6作品(1975-86)、節の付いた語りと歌で全篇が構成される「南無一病息災」(1973)、三味線を用いた「ちからばし」(1976)、そして婆さまと狐のおこんの浄瑠璃が物語の鍵になる「おこんじょうるり」(1982)など、音楽がBGM以上の重要な役割を果たしているのも大きな特徴である。1972年からは川本喜八郎と組み、両者のアニメーション作品とパペットショウを組み合わせた「パペット・アニメーショウ」を開催。6年間継続して、人形アニメーションの社会的認知に大きく貢献した。1990年の急逝後、未完のままに残された「注文の多い料理店」は盟友川本の手で仕上げられた。その作品はときに鋭い批判精神を垣間見せつつも温かみにあふれ、死後も再評価の声は高まるばかりである。
(『造形作品でみる岡本忠成アニメーションの世界』より引用)