85年3月、信雄の秀吉派三家老粛清を機に、羽柴と織田&徳川の両陣営は臨戦態勢に入った。領地の大きさでは秀吉に比するべくもない織田&徳川は、紀泉連合との連携を試みる。 話は飛ぶが根来滅亡後、生き残った根来衆の一部は「根来組」として家康に召し抱えられることになる。そんな根来組が、自らの出自由来を記した「根来惣由緒書」という書物がある。書かれたのは江戸期も後半に入ってからの1811年なのであるが、この「由緒書」によると「小牧の役」の際、「秀吉より味方するよう使いが来たが返答しなかったが、権現様(家康)からの使者(井上正就)が持ってきた手紙には、我らを頼るという内容が書かれていのでこれを受け、西国より…