大永6年(1526年)の政変で、島津宗家(奥州家、おうしゅうけ)では政権移譲が成る。権力を手にしたのは、相州家(そうしゅうけ、分家のひとつ)の島津忠良(しまづただよし)だった。14代当主の島津忠兼(しまづただかね、島津勝久、かつひさ)は引退し、後継者には忠良の嫡男の島津貴久(たかひさ)が擁立された。 しかし、大永7年の薩州家(さっしゅうけ、分家のひとつ)のクーデターにより、相州家は政権の座より引きずり下ろされる。そして、島津忠兼(島津勝久)は守護に復帰するが、領内では反乱や領主どうしの抗争が多発。南九州は混沌とした状態が続いていた。 rekishikomugae.net 記事内の日付は旧暦で記…