元禄7年7月27日。文左衛門は相原荻右と南野へ鯐(すばしり・ボラの稚魚)打ちに出かける。荻右が、この先南野の弥次右衛門新田へ行けばたくさん鯐がいるはずと言うので行ってみる。ようやくたどり着くと、蒹(荻)や葭(葦)の下を水がわずかに流れるだけで、小魚1匹見当たらなかった。話とは全然違うので帰ることするが、その帰路は惨憺たるもので、泥が深く、膝まで埋まり、足を抜くこともできなかった。腹這いになると何とか進むことができ、所々には休憩する場所もあった。別の道ならこんあこともなかった。その後、山崎橋の下で投網を打つ。荻右が鯐(すばしり、ボラの幼魚)2匹を捕る。川名に通り、酉6点(午後6時過ぎ)に帰宅する…