文政4年12月2日。厳罰を仰せ付けられた者を記す。じうという女に佐助という夫を殺したわけを尋ねると、生まれつき淫乱で情夫がたくさんいたと。生まれたところについては最後に記すのでここでは略す。佐助は貧乏で季節ごとの衣類などもままならなかった。そのため夏服を質に入れて冬服を用意するようじうに申し付けたが、前から情夫勘蔵のために質入れしていることを打ち明ければ、短気な勘蔵のことだから折檻されると途方にくれ、夫に酒を飲ませ、ひどく酔ったところを鯰突き鑓で刺した。ところが佐助は強力で追いかけて来たが、傷が深く倒れて死んでしまった。身を投げようと川へ行ったが、にわかに命が惜しくなって生まれ故郷の仏師川村へ…