さて前記事で見たように、1428年9月18日の馬借蜂起を契機とし「正長の土一揆」が発生したわけだが、実はその1か月前の8月に近江国において、徳政(借銭棒引き)が行われていたことが複数の記録に残っている。 近江国におけるこのケースだが、そもそも誰が徳政を出したのか、徳政に至るまでの経緯、そして実際に暴動沙汰があったかどうかなど、記録が断片的で全体像がよく分かっていない。だが、どうもこの騒動も先の記事で紹介した「山門による麹の訴訟沙汰」に影響されて起こったものらしい。 叡山はこの麹訴訟を起こす際に「返事によっては、馬借蜂起も辞さず」と公言していたようだ。幕府に対して、強いプレッシャーをかけていたの…