捕鯨船。英語ではホエーラー Whalerとなる。
現在の捕鯨船は船首楼上に銛を火薬で発射する捕鯨砲を備えた、ノルウェー式捕鯨船がふつう。遠洋捕鯨では鯨の解体・加工を行う捕鯨母船、タンカー、冷凍船等と共に船団を組み、沿岸捕鯨では単独〜数隻で行動する。扱う獲物が大型である為、それに伴う特殊な設備が多く、甲板艤装品や船上構造物などはやや特殊である。
国際情勢に鑑みて、日本では捕鯨船ではなく調査船と呼ばれる事が多い。操業中、まれにグリーンピースや、反捕鯨団体の過激派の船舶によって襲撃を受ける事がある。
前回のつづき。 krokovski1868.hateblo.jp せっかくオジー・コタニの『Guitar Playing Hawaiian Style』がとどいたというのに、アコースティックギターは夏まけして弦をはずしているし、自家製アンプはダウンするしで、おもうにまかせない。 とりあえずパラパラめくってみたところ、スラックキーの歴史について記載があり、このあいだの概略では拾えなかった内容が書かれていて興味ぶかかったので、以下に要約した。 *** ・スラックキーの歴史 スタイルの変遷を記録した資料はほとんどのこされていないので、スラックキーの歴史は大部分、想像によるほかない。1800年代のはじ…
祖父乗りし捕鯨船 写るモノクロ み
ジョン万次郎として有名な中浜万次郎の像 ジョン万次郎こと中浜万次郎の立像で、地元の青年会が、昭和43年(1968)7月11日に建立した。 万次郎は、文政10年(1827)の元日に、足摺半島の中浜の漁村で生まれたが、漁師であった父が9歳の時に死去したため、早くから漁師として働き、生計を支えたという。 14歳だった天保12年(1841)、出漁中に突風に遭って難破し、仲間4人と共に漂流してしまうのだが、運良く太平洋の無人島である鳥島に漂着し、島で143日間を生き抜いた末にアメリカの捕鯨船に助けられた。しかし、鎖国中の日本へ帰る手立てはなく、捕鯨船のホイットフィールド船長に申し出てアメリカへと渡り、ア…
1月「細雪」谷崎潤一郎「こいさん、頼むわ。ーーー」 昭和18(1943)〜昭和22(1947)。舞台の本家は舟場、分家(幸子と貞之介、娘の悦子)は芦屋にある。感想 はてな匿名ダイアリーで婚活のレポみたいなのを読むのが好き。マッチングアプリとか結婚相談所を介するのだが、多くの人と話す中で観察眼が身についたり、また自分の欠点を反省したりしている記述が面白い。『細雪』は恋バナよりは婚活ブログに近く、人と会って、話して、ダメで、の繰り返しで、その隙間を食事や服装や名勝地についての細密画みたいな描写でびっちり埋め尽くしている。雪子のお見合いは減点方式で、恋に落ちる瞬間のことは語られない。妙子の話を聞いた…
06 /072022 2022.6.1本格的な歴史総合の5回目の授業です。3回目と4回目の授業は、前回のブログで書いたように、教育実習生による授業でした。「個別最適化学習」を目指し、みんなが揃う教室という空間で、仲間同士で情報交換しながら、自分に合ったペースと学び方を発見するのが理想です。個別の勉強を行いつつ協働による学習の後、最後は個人で仕上げるように授業デザインをしています。教育実習後の初めての授業です。やっぱり授業はいいなあ。何よりも楽しいです。これまでの反省から、やや解説が多くなってしまいましたが、生徒たちの考える時間を削りすぎないように、これからも授業デザインを考えていきたいです。慣…
2025年1月2日(木) 夢を見た。 なんと、異性とシている夢だった。まさしく、そのシーンだった。初夢が、滅多に見ない夢だった。 お相手が誰だったか分からなかった(好意を持っていたが、まだ知らない人だと思う)。 夢を見た後に眠りが浅くなり、「あ、今そんな夢を見たな。」と思ったら、映像の記憶が飛んでしまった。 ググると―― 再び眠りに落ちると、また夢を見た。 数名の男女がいた。黒っぽい衣装だった。壁は白かった。白い大きなテーブルがあり、小さなグラスが置かれていた。中に日本酒の新酒が入っていた。皆、試飲して口々に感想を言っていた。「あ、美味しい。」「美味しいね。」 私は腸に障害があり、お酒は全く飲…
道の駅夕陽が丘そとめ。二度寝して起床は7時。昨日寝るのが遅かったから仕方がない。洗濯したらなかなか厳しい。朝食後、昨日のブログを修正、髭剃り。外はすっかり明るくなっていた。 840、出発。長崎市街に向かった。まずは昨日チャレンジして失敗したところへもう一度挑戦した。 925、天門峰。名前に惹かれた。現地では見晴らしはよさそうだったが、高さが足りなかった。Googleマップのコメントを見ると、ここから山登りとなるようだった。ロープを使うような。断念。 長崎は2014年に念入りに回っていたので、特に見たいものはなかった。長崎半島の海岸線沿いを進むことにした。まずは伊王島に渡った。名前は聞いたことが…
ジョン万次郎帰国の日 嘉永4年1月3日(1851年2月3日)、ジョン万次郎(中濱萬次郎)が沖縄本島南西端の喜屋武岬の沖合でサラ・ボイド号からアドベンチャラー号を降ろし、大度浜海岸に上陸し日本への帰国を果たしました。 中浜万次郎/1880年(明治13年)頃の写真。 ジョン万次郎の生涯について、高知県土佐清水市のHPより引用します。 ジョン万次郎の生涯170余年前、21世紀への道を踏み出した土佐の男がいた。日本人として初めて米国大陸に上陸した人物、ジョン万次郎について紹介しています。 異国との出会い 1827年、万次郎は土佐清水市中浜の貧しい漁師の家に、2男3女の次男として生まれました。 1841…
早く寝たいから短め。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー クリスマスにスタバカード(5000円)をもらったので気が向いたら道にあるスタバに寄る生活が続いている。高校の時狂ったように飲んでいたのを思い出した。やっぱり美味しい。 テトラボが2024最終回だったので遊びに行った。最後は"正統派"と言われるストレスを発散する時間だった。今年1年お世話になりました。プァ〜。 あかむつさんが服をくれたのでまたツイートします。まだ見れてない。ありがとうございます。あかむつさんと一緒にいた捕鯨船さんと話す時、自分より歴が上の人と話す気分になったけど全然半年くらい俺の方が先なのびっくりする。まだ…
コバルトライン 牡鹿コバルトライン/県道220号線 御番所公園 展望台 ホエールタウンおしか 島周の宿 さか井 おしか家族旅行村 オートキャンプ場 牡鹿コバルトライン/県道220号線 早朝、セブンイレブン 宮城女川店で最後の準備を整え、エンジンをかける。冷たい風を感じながら、旅の始まりに胸が高鳴る。バイクに跨り、牡鹿コバルトラインの道のりに出発する。 最初の目的地は御番所公園 展望台。海と山が織りなす絶景が広がり、その眺望に心を奪われる。展望台から見える風景は、まるで絵画のように美しく、その瞬間に旅の価値を感じる。 次に向かうのはホエールタウンおしか。ここでは、クジラの模型や展示を楽しみながら…
「クジラを殺すな」と日本の調査捕鯨船への過激な妨害活動を続けてきた反捕鯨団体「シー・シェパード」創設者、ポール・ワトソン容疑者(74)⬆️が、デンマーク自治領グリーンランドで今年7月に拘束された。海上保安庁が国際指名手配していたワトソン容疑者の「身柄引き渡し」を半年にわたって日本政府はデンマーク政府に要求してきたが、その要求は聞き入れられず12月にワトソン容疑者は保釈され自由の身となった。その背景には、ワトソン容疑者の居住地であるフランスのマクロン大統領が、日本への引き渡しに反対の考えを示し、「デンマーク側に働き掛ける」との声明を発表。ワトソン容疑者も仏国籍取得や政治亡命を申請し日本への移送回…
news.yahoo.co.jp シーシェパードのポール・ワトソン氏はゴジラ合で捕鯨船に突っ込んだ犯罪者だがそのこころはよくわかる。 日本に引き渡しなんかしなくて釈放でよかった。 悪法も法なりなどとは思わない。 調査捕鯨などという嘘でクジラを殺して出荷を続けている日本の方がはるかに罪は大きいからだ。自然に対する大罪だ。 クジラの調査に捕獲は必要ない。 国際的に捕鯨禁止を求める。
12/17の日経平均は、-12.95円と続落39,457.49円 続くNYダウは、-267.58ドルと9日続落43,449.90ドル ハイテク株が上昇をけん引する動きにもどったとのコメント ドル円は153.4円台と円高方向にシフト ■気になったニュース - ウクライナ支援の調整機能、米国からNATOに移管=関係筋https://news.yahoo.co.jp/articles/4740dacee8c47ca6e9a421c164ec931463a50e87 - トランプ氏との首脳会談、日本政府「焦る必要ない」 …慌てて会談すれば「宿題もらうこともある」https://news.yahoo.c…
私は現在の農家になる前は造船所で働いていて、その際に船のエンジンをはじめとする機械関係の運転業務を主に行っていました。 建造に関わった船の種類はコンテナ船、ばら積み船、フェリー、RORO船、自動車運搬船、タンカーなど多くの船種を経験しました。 その経験から船について書いていこうと思います。 最初の今回は船の種類についてです。 目次: 1.一般的な商船 1.フェリー 2.自動車運搬船 3.RORO船 4.ばら積み船 5.タンカー 6.コンテナ船 2.特殊な船 1.タグボート 2.捕鯨船 3.フローティングクレーン 4.海洋調査船 3.その他 1.帆船 2.練習船 4.まとめ 1.一般的な商船 1…
日本被団協の田中熙巳さんは「核兵器は人類と共存させてはならない」と訴えた=10日、オスロ(共同) ノーベル平和賞の授賞式で賞状とメダルを授与された日本被団協代表委員の(右から)箕牧智之さん、田中重光さん、田中熙巳さん=10日、オスロ(共同) (2024年12月13日『新潟日報』-「日報抄」) 列車は、札幌市の「平和」という駅に入った。北海道に雪が舞った日だった。ここでホームに降りた。駅から続く陸橋を渡ると、目指す建物があった ▼「ノーモア・ヒバクシャ会館」がこぢんまりと立っている。展示された白黒写真が訴えかけてくる。息絶えた女性、放心の目、人であるのかすぐには見分けがつかない被写体。広島と長崎…
4日目 2008年10月13日(月) 本日も晴天なり。 今日の行程は、まず昨日行きそびれた「佐田沈下橋」に行き、その後はこの旅のもう一つの大きな目的地、四国最南端の足摺岬に向かう。足摺半島をぐるっと1周した後、土佐清水を通り、宿のある竜串に向かう。
東京都小笠原村母島の月ヶ岡神社です。伊豆諸島開発「ははじま丸」が父島二見港との唯一の定期船(所要時間2時間)となります。その停泊港、沖港の裏手の高台にあります。御祭神は母島の氏神です。亜熱帯植物が境内に生い茂る大変静かな小さな神社でした。。 1670年紀伊国宮崎(現有田市)を出航した船が嵐で遭難し漂流のすえで母島に到着。50日間滞在し帰還した船員たちの証言から、母島の存在が江戸幕府に知られるようになりました。19世紀半ば、捕鯨船対象の商売の為、モットレー一家やロースが母島の沖村に先行し移住定着し、1876年日本領になってから3年後に日本人6名が母島に定住しました。現在の人口450人です。 母島…