・601年(隋暦仁寿1.1) 隋の文帝,楊堅は「仁寿」と改元し、大赦を行った。(『隋書』礼儀志一) ・601年(和暦推古9.2.?) 厩戸皇子は斑鳩宮の造営を開始した。(『日本書紀』) ※平群郡の斑鳩は、水陸交通の要所であり、難波津への連絡にも適していた。そこを拠点とすることで、厩戸王が、隋や朝鮮半島との外交を担う形で国政に参画したと考えられる。また、推古天皇は、外交の管轄者して抜擢することで厩戸王を次期天皇に位置づけ、それまで群臣によって選定されていた次期天皇を、自ら決定するという権限を得たとも考えられる(遠山美都男『新版 大化改新』)。 ※河内地域一帯において、蘇我氏と対立していた物部氏が…